時として「棟梁」という言葉は、複数の職人をまとめる現場責任者のように使われることがある。 しかし大工にとって「棟梁」とは、その世界で名前が知れるほど卓越した職人のことであり、簡単には名乗れない 崇高な存在 である。 40年近く大工を続け、平成建設の大工集団を束ねる桜井ですら「俺はそんなに自惚れてないよ」と、棟梁と呼ばれることを嫌がるほどなのだ。
平成建設では創業以来毎年欠かさず大工を採用し、育成してきた。 修練度の異なる大工たちが層を成しているため、ベテランから中堅へ、中堅から新人へと技能の継承がしやすい環境が整っている。 父親のようなベテラン職人、兄貴のような若手職人、相談事も相手を選べる。
職人になるということは腹を括らねばできない。会社に就職して特定の部署に配属されるのとは全く違う、言わば「生き方」の問題だ。 このことはしっかりと肝に銘じて欲しい。 ただし「職人はカッコイイ」。これは確かに事実である。
かつて大工や鳶は町の顔役だった。ただの木材から建築物を造り上げる技術は、尊敬の眼差しを受けた。 職人の技術は日本文化の宝なのである。今や200人を超える平成建設の職人集団は、少しずつその尊厳を取り戻そうとしている。職人という生き方は決して楽ではないが、楽しい。 もし木を扱うことに喜びを見出せるなら、古い技能の伝承に興味があるなら、古代より連綿と連なる職人の系譜に加わろう。技術は未来へと繋がってゆくのである。
新人大工はまず先輩職人や親方の手元(業務サポート)から始め、伝統技能ならではの道具や用語に慣れていきます。 一通りの木工事が出来るようになると現場責任者として、各物件の木工事を管理します。 親方は「大工兼現場監督」です。自分の担当する現場の全てを把握・管理し、お客様の相談も受けます。 ベテランの親方は大工工事部全体の人員配置や業務改善も担当しますが、高い木工技術が必要とされる案件には真っ先に駆り出されます。 全ての大工は「棟梁」を目指して自己研鑽に励みますが、どこからが棟梁かという規定はなく、一生をかけて目指す目標です。 「棟梁」というものは自称するものではなく、社会から認められた時につけられる称号なのかもしれません。
建築の第一工程。建材にしるしを付けることを墨付けという。 ズレや間違いは許されず、木目の見せ方や強度、全体のバランスを考えながら行うため、実は刻みよりも格段に難しい。 新米大工は憧れの眼差しで見るだけである。
新人大工の主な担当業務。プラスターボードを黙々と貼っていく。 この段階ではあまり玄能(カナヅチ)を使うことはなく、インパクトドライバーやビス打ち機、釘打ち機を使って作業する。
造作は内装の仕上げ作業のこと。 下地と違い目に見える部分なので、納まりの美しさに大工の技量が表れる業務。 和室の造作、しかも数寄屋造りだったりすると、表にこそ出さないが相当テンションが上がっている。
造り付けの棚や収納からダイニングセットまで、木の温もりが溢れる家具を製作する。 家具製作は造作とはまた違った面白さがあり、担当する大工は家具工房を見学にいったり、既製品をチェックしたりと勉強に余念がない。
大工という存在がクローズアップされる工程。 現場担当以外の大工も助っ人に駆けつけ、一日で基礎しかなかった場所に家の枠組みが組みあがる。 建方後の上棟式には、幣を飾ったり木遣りを歌ったりと、日本らしい文化が残っている。
親方は自分の現場の監督業務も行う。 全体の工程管理や積算など、やることが一気に増えて忙しくなるが、それもまた「棟梁」へ近づくためには必要なことと頑張っている。