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そして、二年目の挑戦

2011年6月、一次審査のための資料作成が終了した。わかりやすく、訴えるべき事柄を説明する。大工の消滅はイコール日本の木造建築の終わりを意味する。だから、私たちは今の建設業界に一石を投じるのだ。 誰もやらないなら、自分たちでやるしかない。ただ、それだけのこと。 李家には内製化がグッドデザインである自信はあった。去年受賞を逃したのは、受賞したいがために背伸びしすぎた事が原因だと思った。 良いものは良い――そう自分に言い聞かせて、他の2点もシンプルに、訴求すべき内容を絞って応募した。

7月、一次審査結果発表。通過、職人大工集団を主体とした内製化システム・大正浪漫邸宅。不通過、コンビニリノベーション。 残念ながら1点は落選したが、2点の通過、特に本丸の内製化システムが通過したことで、メンバーは喜びのあまり心の中で泣いた。

8月、二次審査の準備に入る。二次審査は、来場者数4万人というイベントも兼ねた、東京ビックサイトでの展示プレゼンテーションである。 この頃李家は大きなプレッシャーに悩まされていた。平成建設の根幹と言うべき「内製化システム」がここで落選したら、平成建設のビジネスモデルは駄目だという烙印を押されてしまうに等しい。絶対に失敗は許されない戦いなのだ。

展示パネルを作成する為に、様々な方向からアプローチを検討。

平成建設の精鋭デザイナーを招集し、プレゼンテーションの検討に入る。建設業の内製化システムは、様々な要素が複雑に絡み合い非常に分かりづらい為、どのように説明するのがベストなのか連日連夜検討会を行った。 展示のみのプレゼンのため、審査員がどのように見るのか、どのような印象を受けるのかを徹底的にシミュレーションする。 一番の問題は、なぜ建設業界は外注をするようになったのか、という疑問の解決と、大工が減少しているという現実をわかりやすく説明すること。 この大前提がなければ「社内で職人を育てて工房を形成する」という必然性と、そのシステムの特殊性、先進性が結びつかない。 誰もが挑戦することなく、誰もが失敗すると思われた内製化のシステムを成功させた唯一の建設会社、平成建設。グッドデザインである自信はある。 あとは、そのデザインをいかに審査員に伝えられるか。李家とメンバーにかかる重圧は増していった。

審査前日、東京ビックサイトには大工手製のパネル台を運ぶ李家たちの姿があった。 無垢材を使用した少し無骨な台は、モダンな雰囲気の会場の中で奇妙に浮いている。 しかしこれこそが、表現者としての李家の回答だった。 日本建築の未来を憂い、大工の減少に危機を感じ、他の建設会社の逆を行く職人の内製化という、ブルーもホワイトもない誇りあるプロフェッショナル集団である平成建設。その晴れ舞台である。 準備をする他企業の人々も足を止め、職人大工集団のプレゼンボードを読む。関西の工務店の社長が、このシステムはすばらしいよ、グッドデザインだ、と言ってくれた。 そして私たちは、日本の未来の建築を支える職人への最大の賛辞として、最後に職人の写真集を貼り付けた。そこには汗をかき、汚れた服装で一生懸命に働く若者たちの姿があった。

受賞、そしてその後のこと

9月、グッドデザイン賞受賞の発表の日。李家とメンバーは固唾をのんでその時を待っていた。発表の時が迫る。……結果、受賞。「職人大工集団を主体とした内製化システム」と「大正浪漫邸宅」のダブル受賞を果たした。 地方の建設会社がたった一人から始めた、職人を主体とした建設会社が世の中に認められた瞬間である。会社の組織形態そのものが受賞するのは初めてのことだった。

グッドデザイン賞授賞式典にて。

李家は言う。
「賞を取ったから嬉しいわけではなくて、自分たちが良いと思って続けていた事が、はじめて第三者に認められた事が嬉しいのです」

もしも受賞していなければ、それは表現の問題としか考えられない。それはつまり、デザイナーとして、李家のディレクションに間違いがあったことを意味する。飄々と語る李家も、このときばかりは安心した表情になっていた。

今回のW受賞により、多くの媒体に取り上げられ、それによって平成建設の知名度は僅かばかり上昇した。今後はこの成果をどうやって会社の発展に結びつけていくかということが重要になる。

何気ない一言から始まった、グッドデザイン賞受賞プロジェクト。授賞式では喜びの余り李家の具合が悪くなるというハプニングもあったが、社長の記念撮影とともに、記録と記憶に残るプロジェクトになった。