Project社内システム開発

case.5グループウェア

SEとしての最初の大仕事

内製化を標榜する平成建設では、通常の企業ならば外注する業務の多くを自社内で行なっているため、社内に多くの部署が存在し、日々処理される業務は非常に幅広い領域に及ぶ。 また、会社規模の拡張に伴い営業拠点は増加し続けており、多職種間、支店間のスムーズな情報共有は、常に重要な課題とされている。

SEはシステム開発の他に、自社サーバの管理やメディアリテラシーの啓蒙なども行っている。

現在、平成建設の各拠点を結び、スムーズな情報共有、広範囲の業務処理を行っている「グループウェア」の開発が始まったのは2004年。 ちょうど支店第一号であった厚木支店が軌道に乗り始め、沼津と厚木間のコミニュケーションが増えた時期に当たる。 当時は連絡ツールと言えば電話やFAXしかなく、打ち合わせの増加に伴って、支店-本社間の通信費用は増加の一途を辿っていた。 その結果、それまでも度々話題にはなっていたコミニュケーションツールの開発が、本格的に業務改善会議の俎上に上がることとなる。 2004年の1月の半ばに「グループウェア」プロジェクトが立案され、開示日は3月21日と決められた。

開発に当たったのは当時、まだ課として独立していなかった総務部情報システムチーム。入社2年目だった一ノ瀬は、当時の思い出をこう語る。
「入社からそれまでの間、会社に貢献したといえる大きな仕事がなかったので、このプロジェクトにはとても興奮したことを覚えています。 Web系システムを自社開発するのは平成建設にとって初めての試みだったから、最初から色々詰め込まず、まずは基本的な機能に絞り、後日必要に応じて追加・改良を加える計画でした。 最初に実装したのは社内メール、社内掲示板、日報管理の3つで、僕の担当は日報管理。試行錯誤を繰り返しながら何とかギリギリ開示日に間に会いました」

システムを使うのはヒトだということ

システムは開発して終わりではない。それが有効に使われて始めて価値が生まれる。 逆に言えば、幾ら利便性の高いシステムを開発したとしても、使ってくれる人がいなければ無価値である。
2004年3月21日に開示されたグループウェアも、当初から全ての社員に受け入れられた訳ではなかった。

初めて触れるシステムだからこそ、社員への技術指導にも当時は多くの時間を割いた。
また、実際に使用する社員の声を取り入れてシステム改良を何度も行っている。

「勿論最初から皆が喜んで使ってくれたわけではなくて、中には『入力作業が増えて作業が面倒になった』という人もいましたね。 確かに個人の仕事は少し増えてしまうけれど、それによって他部署の人間が凄く便利になる。会社全体から考えれば一気に効率化が進んでいる。 特に情報共有システムは、全員が使ってこそ活きてくるんです。 そう説得して回りました。その一方で、煩雑な入力作業が苦痛になっていはいけないので、システム的にも妥協点を探りました」

こうしたSEによる社員の説得や、使用方法の指導が積み重なり、次第にグループウェアは業務の中に溶け込んで有効活用されていくようになる。 一ノ瀬はこの開発を通じて、コミニュケーション能力の重要性を感じたという。