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case.6グッドデザイン賞

初挑戦の苦い記憶

出会いはいつも思ってもみなかったところから生まれる。 本来無関係であるはずの事象が偶然の力によって出会うから、それを生みだす人の繋がりは複雑で、面白いのだ。
日本で一番有名なデザイン賞と、地方の建設会社。グッドデザイン賞と平成建設は、本来なら中々出会うことのない関係だった。 だから、この二つが出会い、そして思いがけないドラマを生みながら二年越しのゴールを迎えるなど、かつては社員の誰もが思いもしなかったのである。

2010年4月、とある社内プロジェクトで発言された何気ない一言から全てが始まった。

「建築の賞を何か取りたいよね」

ここから事態は急展開を迎えた。「グッドデザイン賞というものがありまして……」いつの間にか資料を取り寄せているメンバー。 しかし応募の締め切りは6月。果たして、あと二ヶ月で応募物件を決め、プレゼン資料を作成する事は出来るのか? そして受賞は出来るのか?

2010年度グッドデザイン賞出展の様子。
一次審査を通過したのは「都市×ビオトープ×再生(平成建設静岡支店)」のみだった。

2010年9月、高校球児が甲子園の砂を集めるがごとく、まさかの結果に悔しさと虚無感に襲われるメンバーの姿があった。 応募した4件の建築と1件のビジネスモデルのうち、一次審査を通過したのはわずかに建築の1件のみであり、そして受賞はゼロ。 このとき、約半年に亘りプロジェクトの最前線を走り続けていた李家は、悔しさと共に来年へのリベンジを決意した。

グッドデザイン賞を獲るために必要なこと

半年後の2011年3月、社内の各部署からメンバーが集まり、2011年度グッドデザイン賞受賞プロジェクトが始動した。 二年連続で同プロジェクトが立ち上げられたのは、勿論、ただ昨年取れなかったからというだけの理由ではない。 「グッドデザイン賞」というものがもたらすブランドイメージは、これから首都圏、関西圏へと拡張していく平成建設にとっては大きなアドバンテージになる。 日本で最も有名なデザイン賞のマークは、全く自社の名前が知られていない敵地に乗り込む際には貴重な武器になり得た。 故に、エントリーの中に、平成建設そのものともいえる「内製化」があったのは当然の結果ともいえる。
2011年度グッドデザイン賞には以下の3点を応募した。 「職人大工集団を主体とした内製化システム(ビジネスモデル)」「大正浪漫邸宅」「コンビニリノベーション」。 李家はメンバー中最年少だったにも関わらず、昨年の経験と表現者としての腕を買われ、リーダーに抜擢された。

グッドデザイン賞受賞を目指し、主要メンバーによるミーティングが何度も行われた。

二年越しの悲願を達成するべく、李家は主催団体の訪問や審査員との接触などを通じて、まずは情報収集に勤しんだ。 どうすれば受賞できるのか。なにがポイントなのか。
しかし、どれだけアンテナを張り巡らせても、「建築での受賞は難しい」「ビジネスモデルでの受賞も難しい」という情報しか得られない。 前回の雪辱を果たすために様々な施策を練ってはみるが、決め手とするべき点が定まらず、どれも今一つまとまりに欠ける日が続いた。 そんなすっきりしない日が続く中、5月に転機が訪れる。 偶然にも、以前グッドデザイン賞を審査したデザイナーに詳しい話を聞く機会を得たのだ。 そこで聞いたことは、つまるところ、対象物が「グッドデザイン」であるかどうかを説けばよい、というシンプルなことだった。
「グッドデザイン賞」はものの優劣をつける賞ではない。多くの一般の人が見て、「これっていいよね」と言ってもらえる対象が受賞するのだ。皆が真似したくなる、優れたデザイン。 だからこそ、毎年多くの受賞作品が選ばれるのである。李家は去年の失敗からいろいろ考えすぎていた自分を恥じ、素直に平成建設が職人を育てる意味と、その社会的な役割を分かりやすく説明すればいいのだと確信を持った。